創立当時,昭和35年1月25日市教育委員会において,旧本荘中の生徒数の急増に伴い新設中学校の設置を決議,同年2月旧市内を2分し,南北の学区を設定,同3月,校名を本荘市立南中学校と決定し,市議会において設置及び第1期工事の予算決議をする。同年4月1日南中学校職員12名発令,(菅生粛郎 北中校長兼務)新入生358名は北中学校に収容したが,教育的配慮から北学区の生徒と混合方式の学級編成をし,その年度は南北中合体ですべてが運営された。この間同年11月校舎第1期工事に着手,36年5月完了,グランドの整地作業も完成する。同年6月北中学校の仮校舎より1年生のみ新校舎に移転。第2期工事の完工した37年4月,全学年が新校舎に揃った(学級数23,生徒数1091名)。しかし新校舎のため特別教室,設備等には運営上事欠くことが多く,その都度全職員が相違と英知を結集して対処してきた苦労は,なみなみならぬものがあった。
S35.4. 1 旧本荘中学校の生徒数急増に伴い,旧市内を南北の2学区制にし,本荘市立南中が設立される。
S36.6. 6 1年生331名,学校長以下職員12名,新校舎に移転する。※この日を開校記念日とする。
S37.3.10 校章制定される。
S37.4. 3 北中学校より3年生378名移転,はじめて第1学年より第3学年までそろう。
S37.8.10 校歌制定される。
○主体的学習指導を求めて十有余年
創立以来「学習は生徒が自分自身のために,自分でしなければならない」という,「教える教育」から「学ぶ教育」への転換を目指し,「主体的学習」を標ぼうし研究に踏み出したのは昭和38年度であった。以来,39年度,43年度,47年度と4年毎に学習指導の自主公開研究会を開催し,広く批判を仰いできたが,49年度から主題にせまるため副題を「課題意識を高める指導法の研究」と改定し,県教委の研究指定を受けた。
創立(昭和35年北中併設,36年新校舎移転)以来,「どうすれば生徒が主体的に学習するようになるか」を主題に,学習手引き研究,家庭学習の記録,学習訓練,予習的課題研究等一貫して継続研究実践。
S49年~S51年 文部省指定 学習指導 「主体的に学習する生徒の育成 ~課題意識を高める学習指導」
出典:由利教育百年史 本荘由利校長会 S50.7